寝る前マガジン

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ゲット・アップ・関心-2023/3/6の文章


気がついたら2月が終わっていただけでなく3月ももう1/5が終わろうとしていることに気がついて震えている。時の流れが明らかに早すぎる。もう少し歩みを緩めてもいいじゃないか。

大学に通っている間は日の進みを短いと感じることはほとんどないのに一度休みに入ってしまえばその時間経過は加速度的に速くなっていく。

何故なのだろうか。

その理由の一つとして、関心の薄れがあると思う。

なんだかんだ大学に通っている間は新しく学んだことや大学で人と関わり合っていく中で色々なものへの関心が生まれたり、周りで話題になっていることを知ることで自分の興味の幅を広げたりしていたので、それなりに関心することには事欠かない生活だった。

そういった生活は体感時間を遅らせる。
関心を持って行動するというのは能動的な行動だ。誰かにさせられるでもなく、社会的規律に則って行うものでもない。自分の興味それだけに基づいて行うものだ。そういった行動による体験はとても良い。自発的に取り入れる情報は受動的なそれよりも明らかに輝いているし、自分の中で大きな価値を持っている。
例え前者が好きな本の内容で、後者が大学の専門講義の内容であったとしても、その人の中では前者の価値の方が大きいのだ。というかそうあるべきだとすら思う。能動的な知識は、永遠に失うことない資産だと。

対して私の休みはどうだろうか。
基本的にはバイトをしていて、休みや暇な時にちょっと趣味のことをしたり買い物したりしているだけ。バイトは自分でシフトを申請してやっているものとはいえ、大きく見てみれば半ば強制されているものだ。
そのような生活で大きく関心が揺れ動くようなことはほとんどなかった。ただ流れゆく日々を、生きているだけ。歩いてるけど目は閉じたまま。

もちろんこの前の志摩スペイン村は楽しかった。自分の好きなコンテンツに能動的に触れられたから。
けれど、正直それに至るまでの2月の記憶などほとんどない。私にとっての2月は志摩スペイン村での2日間で上書きされる程度のものだった。28日間が2日間に負けたのだ。その程度の薄さだった。

漠然と「悲しい」という感情が湧いてくる。
心の底から滲み出るように。

無関心に日々を生きる自分に対しては心が動くというのはなんだか皮肉めいたものがあるように感じてしまう。後悔するなら前提をなくすべきなのに。

私はまだ20歳にもなってない(3/12生)ので、どうしても人生はまだまだ続くものだと思っているし、今数十日を無駄にしたところで大丈夫だろうと考えてしまってはいる。

でも、今この時を生きる自分は、この時を見ている自分は今ここにしかいない。

そう考えると、やはりもっと関心を持って生きていきたいと思う。
例えバイトだらけの日々だろうと、家から出ないような日が続こうと、無味乾燥に見えるような毎日でも、心持ち次第で、関心次第でまだまだなんとかなるはずだと思いたい。

ゲット・アップ・関心