寝る前マガジン

1日の寝る前か暇な時に書いている文章を公開しています。1日1記事。

いつからが休日でどこからが休みなの-2023/2/27の文章

 こんにちは。今日は6日ぶりになんもない日が来たので寝ていました。あとは軽く病院行ったり買い物行ったり。暇な主婦かて。寒いと行動する気なくなるから1行動あたりの重さがデカくなるよね。俺だけ?

 せっかく大学の後期の授業が終わって春休みに入ったって言うのにほとんどバイトばっかしててなんかこれ休みか?という気持ちになってきた。そもそも大学の授業期間中も土日がバイトで潰れていたから事実上休みらしい休みが固定であったことないかもしれない。全休の日とかでバイトを固定で入れない日とか作ればよかったかもな。来期から一切の全休無いけど。

 我らが京都大学農学部応用生命科学科は3回生に信じられないカリキュラムが組まれていて、月〜金の3〜5限が確定で学生実験で埋まっている上に1,2限も専門がかなりの割合で入っているので全休どころかそもそも空きコマが1,2個しか存在しない。マジでどうかしている。これのせいでろくにバイトができない。しかもそれぞれの実験で実験レポートの提出が求められるので家での時間や土日の時間もそれらで潰れるのがほとんど確定してる。そんなことある???

 こういうこと考えると本質的な休みって一体どこに存在しているんだろうと思う。大体の人は何もすることがない日でもその先にあることや現在しておいた方が良い(必須ではない)ことなどを意識したり考えたりしてしまうことが多いと思う。少なくとも翌日にバイトや大学や仕事がある人がその休日にそれらを意識することなく過ごすことはほぼ無いと言い切っていいと思う。肉体的には休めても精神的にちゃんと休んだ日があることがある人はそう多くはなさそう。

 そう考えた時、じゃあ世の中の人間はどうやって精神的なストレスを解消しているのかというと、結局のところは「逃避」な気がする。全力で現実から目を逸らして何かに没頭したり楽しんだり、そういう行為が精神の休養に使われてる。ただこれは本当に休みなんだろうか?精神力を回復し傷を癒してるのか?なんだか違う気がする、具体的にはどうこう言えないんだけれど。

 そういうものは結局誤魔化し誤魔化しでなんとなくやっていってるだけだと思っている。だからこそ人は強烈な精神的ダメージを食らった時簡単に崩壊するのだとも思っている。常に改修補強がされているのならそんなことにはなかなかならない。結局ヒビや綻びを見過ごす現場あるあるみたいなことをしてるからいざという時にポキッと折れてしまう。どうしようもない。現代でできる回復法はおためごかし的なものでしかない。おためごかし、獣ゆく細道で初めて知ったしそれ以降その言葉をなんらかの作品で見たことない。ちょっと昔のやつなら出てくるのかな。

 現代社会に生きる以上はそういった「精神的ストレスの根源」から自分を完全に切り離すことはできない。できたとして、それは社会から外れたということに等しいのだからその事実によるストレスもまた発生する。結局のところ精神はストレスを受け続けるしか無い。そういった状態なのを、恐らくみんな薄々勘付いていながらも見ないフリをして生きている。この事実もストレス源に過ぎないのだから。

 休日は大半の人に存在する。仕事や学業の無い日、という意味で。

 しかし私たちが本質的に休める日、本来の「休日」はどこにも存在しない。「休日」のイデアを見つめながら紛い物の休日を待ち望んで生きている。